毎日からかわれボウカなんて日常茶飯事、周りの社員も上司も見て見ぬふり・・・狂ってる→異動をきっかけにはじまった壮絶な社内いじめフクシュウ劇!!

俺:三十代 会社員 妻と小学生の子供が二人いる。
99年9月から会社に勤めているが
10年後の4月から平川のいる部署に異動になりパワハラを受ける。
平川グループリーダー:当時の俺の上司。暴カを含むパワハラを俺にしている。
内藤課長:平川グループリーダーの上司。
     平川を特別に可愛がり、平川のパワハラも黙認している。
部長&社長:本社からの出向者。パワーハラスメントを隠蔽し、何の対応もせずにパワハラを放置している。
会社:ある大企業の子会社。田舎にある。
第一章【異動をきっかけにパワーハラスメントが始まった】
朝、愛車を走らせ、会社の社員用の駐車場に着く。
過去に大雪が原因の渋滞で遅刻をしたことがあった。
その失敗を繰り返さない為に、俺はいつも出社時間が早い。
仕事が始まるより一時間近く前に、会社に着く。この習慣は冬以外でも身に付いてしまっていた。
ここは田舎なので交通機関が十分ではなく、俺も含め、社員の殆どが車での通勤だ。
そして、この会社には数百人の社員がいるが、
俺が会社の駐車場に着くと車がまだ数台しかない。俺の出勤が早い証拠だ。
車を降り、歩いて更衣室に入り、制服に着替える。
(今日は、どんなパワーハラスメントが待っているのか・・・)
そう思うと、気分が重くなる。頭が痛い。
この頭痛はいつからだろう。もう覚えていない。
一日中、頭の中心がガンガンする。更に不眠が続いている為に、ボーッとしている。
目は虚ろになり、視線は自然と下になってしまう。
静かで暗い工場内の廊下を歩く。
光となるものは、工場内に設置された、緑色の非常口用の表示灯だけだ。
俺は、そんな工場内の緑色の床を見ながら歩いている。
仕事をする場所である事務所に、一歩一歩、確実に近付いてしまう。
まだ、天井の電気が付いていない為に事務所には窓から入る朝日と
数台のパソコンからの光しか、明るさとなる物がない。
そんな薄暗い状態の事務所に入る。一気に憂鬱な気分が俺を襲う。
事務所には、少ないが俺より早く出社している人が何人かいる。
皆、無言でディスプレイを見て、仕事をしている。
自分の机の上を見ると、違和感がある。直ぐに、その違和感が何かを理解する・・・
キーボードの上に、蹴られて凹んだ鉄製のゴミ箱が置かれている。
ディスプレイには「タヒね」と書かれたA4用紙が貼られている。
書類入れの箱には「バ力」と書かれたA4用紙が入っている。
昨日、会社から帰る時には、こんな状態ではなかった。
(・・・・・そう言えば俺は、昨日は平川グループリーダーより先に帰ったな)
そう思った俺は、ゴミ箱の凹みを直してから床の定位置に戻し
紙をリサイクル用のゴミ箱に捨ててからパソコンを立ち上げ、仕事を始める・・・
俺が平川グループリーダーの部署にいた時は、上司の平川グループリーダーから
この様な職場苛め、所謂『パワーハラスメント』を日常的に受けていた・・・
この会社には勤めて十年になっていたが、今まではこんな事は起きなかった。
この会社は有名メーカーである本社の100パーセント出資の子会社だ。
工場では主に精密機器を製造している。
入社して約10年間は、工場の製造ラインで精密機器の組み立てや検査といった作業をしていた。
後にパワーハラスメントの加害者となる平川グループリーダーとの関係も普通だった。
パワーハラスメントが始まったのは、俺が事務職である平川グループリーダーのいる部署に異動になり
平川グループリーダーの部下になってからだった。
異動の話があったときは嬉しかった。今までとは違う新しい仕事に挑戦できることが嬉しかった。
家に帰って、嫁さんに報告すると、笑いながら「頑張ってね」と嫁さんも喜んでくれた。 
ところが、この異動が、パワーハラスメントが始まるきっかけになった。
異動してから約一ヶ月経った5月だった。
既に退職していた俺の前任者からの引き継ぎミスで
俺の担当していた現場ラインで欠品が発生し、現場の作業者が作業が出来なくなった。
俺は不馴れなために適切な対応が出来ず、ただオロオロしていた。
その状況を解決してくれたのが平川グループリーダーだった。
幸い平川グループリーダーが助けてくれた為に、現場には影響は殆ど無かった。
俺は平川グループリーダーにお礼と謝罪をした。
だが、次の瞬間「タヒんでくれ!嫌なら辞めてくれ!」と、机をバンバン叩かれながら大声で怒鳴られた。
俺は驚いた。こんな平川グループリーダーを見たのが初めてだったからだった。
と同時に何故、そこまで大声で怒鳴られたのかが理解が出来ず、ただ「すみません」と謝った。
その時は、平川グループリーダーはこんな感じで叱責する人なのかと思うことにした。
だが違っていた。平川グループリーダーは他の社員に対してはそんな態度はとっていなかった。
その日から平川グループリーダーの叱責は増していった。
最初は俺がミスをしたり、他の社員に比べて仕事が遅かったりすると
大声で怒鳴られたり、長時間の叱責をされるという程度であり、それは俺が悪いと思っていた。
しかし一ヶ月も経たない内に状況は悪化した。
叱責だけでなく、ただのいやがらせも始まり、それらに理由は無くなっていた。
俺は只の苛められキャラになっていた。
これは推測だが、平川がパワハラを始めた理由を書こうと思う。
よくある事だけど、俺が平川の部署に異動になった事を面白くないと思った奴が二人いた。
一人は平川の部下で、もう一人は現場の人間。
平川の部下の方を“竹内”現場の人間の方を“後藤”とする。
竹内は、俺の異動が「自分の出世の邪魔だ」と感じたようだった。
異動直後から俺に対して冷たくバ力にしたような態度をとっていた。
常に俺を上から目線で見たがっていた。
そして竹内は平川に俺の陰口を吹き込んだ。平川は竹内に影響され、パワハラを始めた。
竹内は俺がいじめられているのを見て、笑っていた。
その状況を、平川は竹内に慕われていると感じたようだった。
その後に、後藤が加わった。後藤と俺は、昔から仲が悪かった。
俺が平川の部署に異動になる前から相性が悪かった。
後藤は田舎の人間らしく、多くの人の悪口や陰口を言っていた。悪口や陰口、噂話が大好きな奴だった。
常に、人の文句を言っている様な男だった。
一度、人の悪口を言うのを止めるように注意されていた事があったが、
「悪口は俺のステータスだ」と言って、突っぱねていた。
俺はそんな田舎者のテンプレートのような後藤が嫌いで仕事以外は無視していた。当然、仲が悪かった。
俺は後藤を無視、後藤は俺の陰口を言いふらす、という関係だった。
そんな状態が続いているときに、俺は後藤の部署に異動になった。
そして、後藤の部署には、竹内がいた。
ある飲み会で、後藤と竹内は俺を嫌うということで意気投合したようだった。
そして、後藤は、竹内同様に平川に目を付けた。
もしかすると後藤は竹内から、平川は唆しやすいということを聞いたのかもしれない。
そして、平川を利用すれば、俺に対するいやがらせを大きく出来ると思ったのだろう。
俺の陰口を、あること無いこと、平川に吹き込み始めた。
それを『自分は後藤にも慕われている』と感じた平川は、後藤の陰口を信じてしまったようだった。
平川が後藤のいる現場ラインに行くと、俺のパワハラが悪化するということが続くようになった。
平川は竹内だけでなく、後藤の操り人形にもなっていた。
後藤と竹内は、平川にいじめられる俺を見て嬉しかったのだろう。
俺にパワーハラスメントをすると喜んでくれる奴がいる。俺も何の反撃もしない。会社も放置。
こんな状況で平川はパワーハラスメントをエスカレートさせた。
ただ、あくまで俺の場合に限定するけど、パワハラをする側だけが悪いのではない。
俺にも多くの原因がある。慣れない部署で仕事のスピードも遅かったし、ミスも多かった。
更にパワハラに対して何の反撃もせずに耐えてしまった為に、周囲からも完全に孤立した。
平川からは仕事を邪魔される。分からない仕事も、周囲からも教えてもらえない。
その結果、仕事は更に遅れ、ミスを発生させる。やる気なんて全く無くなった。
ただ、目の前の仕事を終わらせるだけ・・・
家族と会社に迷惑をかけたくないと思った俺は、ひたすら耐えた。
でも、耐えてはいけなかった。戦わなければならなかったが、俺はそれをしなかった。
パワーハラスメントでも、学校のいじめでもあることだが
いじめがエスカレートする理由として『ヒガイ者が何の抵抗もしない』というものがあるらしい。
俺の場合もそうだった。いつかパワハラが終わってくれると思って、我慢してしまった。
でも、いじめられる側が反撃しない限り、いじめが終わることはない。だから会社も対応しない。
俺は、約七ヶ月間に平川グループリーダーにされたパワーハラスメントをメモしていた。
第二章【俺がされたパワーハラスメントの内容】
・暴言「タヒね」「刹す」「辞めろ」は毎日、数回から数十回は言われた。
・頬をひっぱたかれる。
・バインダーで頭を叩かれる。
・痣が出来るほど強く足を蹴られる。
・何枚ものA4用紙を丸めてメガネを突かれる(これで俺のメガネは折れた)
・右胸を拳で3回殴られる。 
 (俺は右腕が上がらなくなり、電話も左手で取った。
  パソコンもしばらくは左手だけでタイピングしていた。これは病院に行った)
・消しゴムを後ろから頭に投げられる。
・俺が立って、平川グループリーダーの直接の上司である
 内藤課長に仕事の報告をしていると後ろから何度も体当たりをされる。
 内藤課長は笑いながら「おいおい平川君」と言っただけだった。
・書類の入ったビニール袋を投げ付けられる。
・暑い日も、俺だけはウチワ等で涼をとるのは禁止される。
・部長にパワーハラスメントを注意されると、
 平川グループリーダーは、ふてくされて仕事の事も含めて俺を完全に無視。
 これは特に、業務に支障が出て、非常に辛かった。
・何日か暴カを振るっていなかったが、ある日突然
 「今日から解禁だ」と言ってバインダーで頭を叩かれる。
・廊下を歩いていると、後ろから「タヒねタヒねタヒねタヒね・・・・・」と言われる。
・俺の書類(数十枚)を、平川グループリーダーは一枚毎に「タヒね!」と言って処理する。
・仕事をしている俺に何度も「タヒね!」と言うので、
 俺が平川グループリーダーを見ると「こっち見んな。気色悪い」と言われる。
・研修に行くことになったら、部長に「何でこんな奴を研修に行かせるんですか?」と大声で言われる。
・パソコンのキーボードを叩いていると「その指、気色悪いで」と言われる。
・突然、机を叩かれ「仕事なんかしなくていいから事務所の入口に立っとけ」と言われる。
・俺の机に腰掛け、何度も何度も「なあ、何で会社を辞めへんねん?」と言われる。
 黙っていると「家族がいるから辞めへんのか?嫁さんと子供がおるから辞められへんのか?」と言われたあと
 「じゃあ俺が、お前の家族を刹したら辞めてくれるのか?」と言われる。
・有休届けを提出して休むと、次の日に「ハローワークに行って来たんやろ?」と聞かれる。
・俺が部長に会議室に呼ばれ、仕事を教えてもらったあと事務所に戻ると
 平川が「部長に、お前なんかクビやって言われていたのやろ?」と聞いてくるので
 「違います」と答えると「クソッ!」と言って俺のゴミ箱を蹴られる。
・残業申請をすると「うわぁ、金の亡者やなぁ」と言われる。
・一時間以上、立たされ叱責される。
・冬の寒い夜に突然、事務所から外に連れ出され(20分以上)
 俺がタヒんだら、どれだけ嬉しいかという嫌味を言われる。
・朝、出社すると机に「バ力」と書いた紙が置かれている。
・朝、出社するとディスプレイに「タヒね」と書いた紙が貼られている。
・朝、出社するとキーボードの上にゴミ箱が置かれている。
・書類を体に投げつけられる。
 俺が書類を拾って平川グループリーダーに渡すと、今度はその書類を後ろに投げられる。 
 俺は床を這いつくばり、書類を拾わされる。
・ミスをすると何度も何度も再発防止報告書を書かされる。
・座っていると椅子を蹴られる。
・通信教育の申し込みをしようとすると「通信教育よりも、辞表を書く勉強をしてくれ」と言われる。
・仕事をしていると、後ろから「俺が、お前にして欲しいのは辞表を書くことだけや」と言われる。
・拳を俺の顔の前に出して「殴ってやろうか」と言われる。
・サービス残業とサービス休日出勤を強要される。
 一度、サービス休日出勤が総務課に知られて、休日出勤代が支給されてしまった。
 すると次の日には知られたことで、平川に長時間の叱責をされた後
 総務課に知られずに、サービス休日出勤やサービス残業をする方法を教えられ強要される。
・仕事を家に持って帰ってするよう強要される。
と、記録しているだけで、これだけのパワーハラスメントを受けた。
事を大きくしたくないのか、社長も部長も内藤課長も見て見ぬ振りだった。
だから当然、数十人いる他の事務所の社員も見て見ぬ振り。
俺は誰にも頼れず、ただパワーハラスメントに耐えていた。
そんな俺にも心の支えとなる人がいた。ありきたりだが家族だった。
家に帰ると嫁さんと子供が「おかえり~」と言ってくれる。
話をしたり一緒にゲームで遊んだりする。そんな“普通”が幸せだった。
疲れて帰っても、子供と遊んだり、嫁さんと話をしたりすると疲れは取れた。
家の中は温かい空間でいて欲しかった。
この幸せを壊すのが怖かった俺は、家族にはパワーハラスメントを受けていることを一度も言わなかった。
そればかりか仕事が楽しいと作り話までして家族を安心させようとした。
心配を掛けたくなかった。俺が我慢さえすれば家族は幸せになれると思っていた。
第三章【耐えることの限界】
だが、耐えるのにも限界があった。
平川グループリーダーの部署に異動になってから
約七ヶ月が過ぎた12月頃から、俺は頭痛と不眠に悩まされるようになった。
常に頭はガンガンする。ボーッとすることが多くなり、仕事に対する意欲も集中力も無くなった。
ただひたすら目の前の仕事をするだけ・・・
その頃には平川グループリーダーからのパワーハラスメントは暴カも当たり前になっていた。
左胸を三回殴られた時に振り返ったが、
社長が自分のパソコンのディスプレイを見たまま仕事を続けていたのは今でも忘れない・・・
ゆっくり休みたいが家に帰っても眠れない。
朝まで暗い寝室で目を閉じて寝たふりをする。
そんな状態が、年末年始の休みが終わろうとしていた頃から更に悪化した。
(仕事が始まればまた、タヒねとか辞めろとか言われるんだろうな)と思い、憂鬱な気分になっていた。
このまま休日が続けばいいと思った。
その頃から平川グループリーダーの声で「タヒね!」と幻聴が聞こえだした。
あまりにもハッキリと聞こえるので、
最初は本当に平川グループリーダーが言っているのかと思ったぐらいだった。
仕事をしていると突然「タヒね!」と聞こえる。
振り向いて平川グループリーダーを見ると平川グループリーダーは静かに仕事をしている。
(何だ、今のは?確かに平川グループリーダーの声だったのに・・・)と思うが
平川グループリーダーは言っていない。そんな事が何度も続いた。
ハッキリと幻聴だと自覚したのは数日後だった。
平川グループリーダーが会社を休んでいたのに
平川グループリーダーの声で「タヒね!」と聞こえた時だった。
(これ、幻聴ってやつだ。俺は頭がおかしくなってんじゃないのか?) と思った。
それからは、幻聴は酷くなった。
一人で車を運転していても家族で買い物をしていても
平川グループリーダーがすぐ傍で怒鳴っているみたいだった。
不眠が辛く、無理矢理眠るために焼酎を一気飲みして眠った。
しかし、数時間もすると夢の中で平川グループリーダーが「タヒね!タヒね!タヒね!タヒね!」と大声で叫ぶ。
俺は驚き、目が覚める。そして朝まで眠れない。そんな事も何度も続いた。
それでも家族には言わなかった。心配を掛けたくなかった。
しかし、遂に限界がやってきた・・・
この会社の定時は午後5時15分だが、俺は仕事を夜9時過ぎに終えた。勿論、サービス残業だ。
残業を申請すれば平川グループリーダーに“金の亡者”扱いされ
次の日のパワーハラスメントを悪化させてしまうからだ。
かといって、早く帰れば次の日は朝から平川グループリーダーのパワーハラスメントが待っている。
俺は家に帰る為に、車を運転していた。
その日の俺は、今まで以上に頭痛と不眠と幻聴が酷かった。
一人で車を運転していると分かっているのに平川グループリーダーの声が聴こえる。
運転中なのに、気が付くと前を見ずにハンドルを見ている。よく、事故らなかったと思う。
両手でしっかりとハンドルを握って運転しながら頭痛と幻聴に耐えた。
運転しながら涙が出ていた。そんな状態で運転している時だった。
対向車線を前から大型トラックが走ってきた。
俺はボーッとしながら、そのトラックを見ていた。
前から近付く対向車のトラックのヘッドライトを見ながら、俺はこう考えた。
(今、ハンドルを右に切ったら楽になれるんだろうな・・・)
しかし、それは実行しなかった。今、思うとタヒぬのが怖かったのだと思う。そのまま家に帰っていた。
駐車場で涙を拭き、上を向いて何度も瞬きをして
目が赤くなっていない事を確認してから家に入った。
リビングに入ると、そんな事を全く知らない嫁さんと子供がテレビを観ていた。
それを見て、俺はまた怖くなった。
(何でタヒのうと思ったんだ)この家庭を壊すことが怖かった。
そして、もう平川グループリーダーの部署にいることに限界を感じ
次の日に内藤課長に、頭痛と不眠と幻聴があることを報告した。
この時、内藤課長は「よう、耐えとんなーと思ってたわ」と言った。
内藤課長がパワーハラスメントを把握していた証拠だった。
その日の午後に、会社の産業医がやってきて俺は面接をされた。
内藤課長と総務課長が呼んだらしかった。だが、この産業医が俺を更に苦しめる存在になった。
第四章【パワーハラスメントのヒガイ者は産業医を信用してはいけない】
ここで、ちょっと脱線するが、産業医の話をさせてくれ。
あくまで、俺の会社の産業医に限定させてもらう。
産業医(さんぎょうい)とは、企業等において労働者の健康管理等を行う医師である。
労働安全衛生法により、一定規模の事業場には産業医の選任が義務付けられている。
俺が勤めている会社にも当然、産業医がいる。しかし、気を付けなければならないことがある。
産業医は誰(何)の為に働いているか、ということだ。
通常の医者(病院の医師)であれば、患者の間には治療契約が存在し
医師は患者の生命と健康を最優先に治療を行う。
しかし、産業医は社員との直接の契約関係にはなく
会社と業務契約を結び、会社が安全配慮義務を果たすのを手伝う。
簡単に言うと、産業医は、会社に雇われた『会社側の医者』なのだ。
会社からお金を貰って仕事をしている医者なのだ。
だからパワーハラスメントのヒガイ者である俺のように、
会社に不利益になる情報を持っている人間に産業医が真摯に対応したりしない。
社内でパワーハラスメントが行われている。会社もパワーハラスメントを把握している。
そして、会社はパワーハラスメントを隠蔽しようとしている。
そんな生きた証拠である俺は、産業医にとっても邪魔な存在なのだ。味方になってはくれない。
だが、当時の俺は、それを知らなかった。
産業医も通常の医者と同じように患者の為に仕事をしてくれるものだと思ってしまっていた。
午後に、俺は会議室に呼ばれた。椅子に偉い感じのする男性が座っていた。
総務課長は俺に「この方が産業医の先生だ」と紹介すると会議室から出た。
会議室には俺と産業医の二人だけになった。
産業医は挨拶をした後に雑談をしてきた。俺を落ち着かせる為だろうか。
暫く雑談をしてから、産業医は俺の今の仕事についての不満や、問題と思っていることがあるのか聞いてきた。
俺は長い時間かけて、産業医に全てを話した。
平川グループリーダーのパワーハラスメントの内容も
会社がパワーハラスメントを止める努力をしてくれないことも、俺の頭痛も不眠も幻聴も話した。
その時は、これで平川グループリーダーが処分され、パワーハラスメントが終わると信じていた。
産業医が俺を救ってくれる。普通に仕事が出来る環境になる、と信じていた。
長い面接を終えたあと、俺は会議室から出された。
その後に、総務課長と内藤課長が会議室に入り、産業医と話をしたようだった。
暫くして、再び俺は会議室に呼ばれた。今度は総務課長と内藤課長もいた。
「貴方は仕事が忙しい。貴方は仕事から逃げたい、逃げたいという思いがある」産業医は俺に言った。
産業医は平川グループリーダーのパワハラについては一切、何も言わなかった。
長時間かけて話をしたのにも関わらず、全く触れなかった。
(えっ?)と思ったが、情けないことだが当時の俺はこんなことにも反論する気力さえ失っていた。
闘うという意志を失っていた。だから、この時は産業医の言うことを信じてしまった。
この苦しみは逃げているだけなんだ、と自分でも思ってしまった。
その結果、この時には平川グループリーダーは何の処分も受けなかった。
当然、会社にも何の処分も無く、会社が産業医に
「片岡は仕事が忙しくて逃げているだけだ」と吹き込んでいたことを知ったのは随分あとだった・・・
産業医の給料が何処から出ているか考えればわかる話だが、産業医は会社の味方だ。
産業医は従業員よりも会社を優先する。
だから、パワハラに苦しんでいる人は産業医には心を開くな。頼るな。信じるな。
話は会社に筒抜けになるから、話もしない方がいい。
産業医を信じれば、俺のように更に自分を苦しめることになる。
第五章【こころの診療所】
産業医との面接が終わった日の午後に、
俺は家からさほど遠くない、こころの診療所であるクリニックに行った。
待合室には静かな音楽が流れており、他の患者さんは静かに本を読んでいた。
様々な心のケアに関わる専門書や、うつや精神障がいに関する本が置かれていた。
俺は適当な本を手にして読みながら、
(遂に俺も、こういった治療が必要な状態になってしまったんだな) と思った。
俺の名前が呼ばれ診察室に入ると、少し広めのきれいな部屋に院長先生が一人で座っていた。他には誰もいなかった。
俺は会社でされたパワーハラスメントと会社の対応を話した。
時間がかかったが、先生は嫌な顔せず聞いてくれた。
院長先生はパソコンに俺のパワハラの話を記録しながら聞いてくれた。
「何それ?本当にされたことなの?どうして耐えていたの?」
院長先生は何度も俺に聞いた。
院長先生は俺のされたパワーハラスメントの話に驚いていた。
無理矢理眠るために、焼酎を一気呑みしていることは注意され止められた。
話が終わると、院長先生は「取り敢えず、二週間は仕事を休むように」と勧めた。
「仕事が忙しくて、休めない」とお願いしたが許可は下りなかった。
それ以上、休む必要があるかは、その時に決めるらしい。
(二週間も休んだら、俺はどうなるんだろう・・・仕事はまだあるのか?)
平川グループリーダーのパワーハラスメントは辛いが、仕事自体にはやりがいがある。
家族もいるし、仕事を失うわけにはいかない。
そう思った俺は何とか休まずに治療できないか訪ねたが
「今はゆっくり休むことが最重要だ」と何度も言われ説得された。
俺は従うしかなかった。
診断書には「職場上司の不適切な対応を改善する必要がある」と書かれた。
二週間後にまた診察に来るように言われ、予約をした。
処方箋を貰い、近くの薬局で二週間分のレンドルミン錠剤とリスペリドン錠を処方された。
レンドルミン錠剤は不眠症の治療、リスペリドン錠は不安、緊張などの症状をしずめ
精神の不安定な状態を抑えたり、何もやる気がない、何も興味がもてないというような状態の改善に用い
通常、統合失調症の治療に用いられる薬らしい。
俺は初めて手にした薬を持って、家に帰った。
家族に知られずに済む方法を、車を運転しながら考えた。家族には言いたくなかった。
俺が家族に黙っていれば家族に余計な心配は掛けずに済む。
半年以上、そうしてきた。これからもそうしたい。
俺が会社でパワーハラスメントを受けていることを知ったら家族はどんな反応をするのだろう。考えると怖かった。
しかし、明日から会社を二週間休まなければならない事を黙っておく方法は考えられなかった。
第六章【嫁さんに隠せなくなった】
こころの診療所という名前のクリニックを出て
午後六時過ぎに家に帰ると、嫁さんが家にいた。
「今日は早いね。珍しいね。どうしたの?」嫁さんが聞いてきた。
「・・・・・」言いたくなかった。
嫁さんはどんな顔をするのだろう?
だが、言わなければならなかった。もう、家族に隠すことは出来なかった。
俺は嫁さんに全てを話した。
半年以上、パワーハラスメントを受けていること・・・暴カもあったということ・・・
随分前から、頭痛や不眠や幻聴があったこと・・・自刹を考えたこと・・・
今日、病院に行ったこと・・・そして、二週間は会社を休まなければいけないこと・・・
二週間後からはどうなるかは分からないこと・・・
仕事ができるのか、平川の部署にいられるのか会社にいられるのか、
目を見ることが出来ず、俯きながらだったが、全て話した。
話終った後、暫く沈黙が続いた。
「気が付かなくてゴメンね」と、嫁さんが謝った。
何で嫁さんが謝らなければならないんだ?
そう思い、平川グループリーダーに腹が立った。
と同時に、全く闘わず平川グループリーダーのパワーハラスメントをただ耐えているだけの自分が情けなくなった。
「ゴメン!」
俺は嫁さんに土下座をした。頭を下げたまま何度も謝った。
申し訳ないというのもあったが、泣いている嫁さんの顔を見られないという理由もあった。
嫁さんは暫く泣いていた。俺は下を向いて黙っていた。家の中は静まり返っていた。
俺と嫁さんの鼻をすする音だけが聞こえていた。
どれくらい時間が経ったのだろう。恐らく数分だと思うが、俺には長く感じられた。
重い空気の家に、外で遊んでいた二人の子供が帰ってきた。
嫁さんは何も言わず、キッチンで晩ご飯の準備をし始めた。
「お父さん、どうしたの?今日は定時?」と長男が聞いてきた。
「うん、久し振りに早く帰ることが出来たんだよ」
俺は子供に顔を見せずに答えた。俺も泣いていたからだった。
直ぐに風呂場に入り、シャワーを浴びた。
ここなら、知られずに泣くことが出来た。
いつも以上に長いシャワーを終えた俺は、リビングの隣の部屋に行き、襖を閉めた。
隣の部屋にはパソコンがあるので、だらだらとインターネットを見た。
見たいサイトなんて無かった。ただ時間が流れるのを待っていた。
夫であり父親である俺が、仕事が出来ない。
そんな自分が情けなく家族に合わせる顔がなかった。
リビングからは嫁さんと子供の声が聞こえてきた。俺はその会話に参加することが出来なかった。
一時間以上経ってからだろうか「ご飯出来たよ」と嫁さんに言われた。俺は泣き止んでいた。
更に鏡を見て、目も赤くない事を確認してからリビングに行った。
テーブルの上には晩ご飯が出来ていた。子供たちも席に座っていた。
「いただきまーす」と言ってから、みんなでご飯を食べた。
嫁さんは子供には普通に接してくれていたので俺もそうした。
嫁さんは、子供には俺が仕事を休むことを言わなかったようだった。
嫁さんの気遣いが嬉しくて安心した。
俺も言いたくなかった。子供を不安にさせることが怖かった。
食事が終わると、嫁さんはテレビ、長男は漫画かゲーム、次男はゲーム・・・いつも通りの食後の時間の過ごし方。
ここで、いつもの俺はインターネットだが、この時はそうはしなかった。
食前に見すぎていたために、見たいサイトがなかったし、そんな気分ではなかった。
家族と居づらかった俺は、何も言わずに二階の寝室に行った。
そのまま寝ようとしたときに、薬を飲んでいないことを思い出した。
薬はリビングに置きっぱなしだったが、リビングには家族がいる。
行きづらくて(薬は明日からでいいか・・・)と思い寝ようとしていたら、嫁さんが薬と水を持ってきた。
「はい」と、渡された俺は、チラッと嫁さんを見て薬と水を受け取った。
嫁さんは、俺が薬を飲むまで待ってくれた。
そして水を飲み干したコップを俺から受け取ると「今はゆっくり休んでよ」とだけ言って、寝室を出た。
その言葉からは優しさが伝わり、嬉しかった。
(今は病気を治すのが最優先だ) と、自分に言い聞かせ、眠った。直ぐには眠れなかった。
だが、二週間は平川グループリーダーのパワーハラスメントを受けずに済むという安心感からなのか
もしくは、睡眠薬が効いただけなのかは分からないが、いつの間にか眠っていた。
次の日から二週間、俺は会社を休むことになる。
第七章【休職】
目が覚めた。カーテンの隙間から、外の光が入っていた。
明るさから判断して早朝ではなさそうだ。
正確な睡眠時間は分からないが、こんなに長く眠ったのは久し振りだった。
起きようと思ったら、身体が動かなかった。薬の作用だろうか起きることが出来なかった。
仰向けで、寝室の天井を見ていた。
今日から二週間、会社を休む。しかも、その先がどうなるかは分からない。
不安だが、何も出来ない。残した仕事も沢山ある。納期が迫っている仕事もあったと思う。
誰か、他の社員がするのだろうか?不安だった・・・だが、何も出来なかった。
誰もいないのか、家の中は静まり返っていた。
二度寝をしようかと思ったが、不安からか寝過ぎなのか、眠れなかった。
暫くしてから、起きてみることにした。
何とか起きることが出来たがフラフラする。
そのまま階段を降りリビングに行くと誰もいない。
時計を見ると11時を過ぎていた。13時間以上は眠っていたことになる。
子供たちは学校に行ったのだろうが、嫁さんは、どこに行ったのか分からない。静かだった。
俺はそのままリビングのソファーで寝ていた。
夢の中で「タヒね!タヒね!タヒね!」と怒鳴られずに、眠ることができるということが嬉しかった。
目が覚めた時は、お昼を過ぎていた。
お腹は空いていないが、他にすることが無いので昼食を作ることにした。
我が家では、昔から休日は俺が食事を作る。だから、料理は得意だし、好きだ。
時間を気にせず、ご飯を作り一人で食べた。
途中でテレビでも観ようかと思ったが、
普段は平日の昼間にテレビを観たりしないので、観たい番組もなかった。
ただ、黙々とご飯を食べた。静かな食事を終えると食器を食洗機に入れた。
ソファーに座ると・・・暇だ。することが無い。
何も映っていないテレビをぼーっと見ながら、色々考えた。
(休むって、具体的に、どうすればいいんだ?寝てればいいのか?)
(外に出たらダメなのか?二週間も、こんな生活をするのか?)
(二週間で済むのか?その後は、どうなるのか?仕事はあるのか?)
不安になることばかりが頭を過った。
平川グループリーダーは今も普通に仕事をしているはずだ。
(今頃、平川グループリーダーは俺の事を笑っているのだろうか?)
(俺を、ここまで追い詰め、勝ったつもりなのだろうか?)
悔しかったが、二週間は平川グループリーダーに合わずに済むと思うと、正直言ってホッとした。
俺は性格上、じっとするのが苦手だ。
そこで、取り敢えず家の中で出来ることは家事だろうと思い、家の掃除や洗濯物の片付けを始めた。
途中でテレビゲームをしたりしながらの家事だったが、それでも時間はあまり過ぎなかった。
夕方になり、嫁さんが子供を連れて帰ってきた。
どうやら、嫁さんは近所の実家に行っていて
学校帰りの子供も、下校途中で、そこに寄っていたようだった。
子供に「お父さんはいつまで、会社を休むの?」と聞かれた俺は
「暫くは、家で仕事をするんだよ」と、子供に嘘をついた。
休職中の二週間は、こんな感じでだらだらと過ごした。
嫁さんは、お金や仕事の話を一切しなかった。本当は不安だったと思う。
「気分転換をした方がいい」と言われ、温泉にも連れて行ってくれた。嫁さんの気遣いに感謝した。
そして、休職してから二週間後に、再び、こころの診療所にカウンセリングに行った。
そこで院長先生に「まだ残業はしてはいけないが、定時までなら仕事はして構わない」と言われた。
仕事が出来ることが嬉しかった。薬の効果があったのかは分からないが頭痛や幻聴はなくなっていた。
睡眠薬の効果も高く、睡眠も十分すぎる程、取れるようになっていた。
今の状態ならば、平川グループリーダーのパワーハラスメントにも耐えられると思った。
第八章【異動】
俺はいつも通りに、早めに出社した。
(俺の仕事はあるのか?俺は会社にいることが出来るのか?)
(平川グループリーダーは処分を受けているのか?周囲は、どんな反応をするのか?)
不安だらけだった。薄暗い事務所に入ると、何人かの社員が俺に気が付いた。
俺は頭を下げ「お早うございます」と挨拶をしたが、俺に挨拶をする人はいなかった。
皆、チラッと俺を見ただけで直ぐに仕事を始めた。
総務課長に出社したことを伝えると、会議室に呼ばれた。
ここで、どんな話が俺を待っているのか?不安だった。
暫くすると、内藤課長が会議室に入ってきた。
俺は挨拶をすると、内藤課長は俺の体調のことを質問してきた。
俺は頭痛も幻聴もなくなり、睡眠薬を飲んでいるので不眠もないということを伝えた。
仕事も今のまま、続けられるということも伝えた。
だが、内藤課長は、俺の意見を聞いてはくれなかった。
内藤課長は俺を平川の部署から外し、以前の現場の仕事に戻そうとした。
しかし、ここで俺が異動になったりすれば平川に負けたことになると思った俺は
「大丈夫ですよ。続けさせてください」と、内藤課長にお願いをした。
しかし、俺のお願いは叶うことはなかった。今までと違い、内藤課長はよそよそしかった。
自刹まで考えた俺が邪魔になったのだろう。追い出すのに必タヒという感じだった。
俺は渋々、了承させられた。その後、内藤課長は会議室を出た。
出る際に、内藤課長は「向いてなかったんや」と言った。
ショックだった。完全に俺の負けだった。
俺は弱すぎた。ここまでされても復讐をしようとも思わなかった・・・
数分後、内藤課長と杉本部長が会議室に入ってきた。
杉本部長A5はサイズぐらいの厚めの紙を持っていた。
直ぐに、それが何か分かった。俺の辞令書だった。
俺の話を聞くまでもなく異動は決まっていたようだった。
辞令書を受け取ると「新しい仕事は明日からしてもらうので、今日は帰って、ゆっくり休め」と言われた。
俺は何も考えることが出来ず、従った。会議室を出て、工場内の通路を歩いた。
何人かが俺を見たが、話し掛けてくる社員は一人もいなかった。
俺は下を向いて通路を歩いた。居づらかった。
この日、会社には30分もいなかった。
家に帰るために車を走らせたが、相変わらず何も考えることが出来なかった。
ただ、ぼーっと運転していた。
家に着くと、余りに早い帰りに、嫁さんが驚いていた。
当然だろう・・・夫が二週間ぶりに仕事が出来ると思ったら、数時間で帰ってきたのだから・・・
不安でもあったようだった。
「会社に行ったの?仕事はしたの?」
「誰に何て言われたの?平川グループリーダーは処分されたの?」
嫁さんは俺に質問攻めをしてきた。正直言って、鬱陶しかった。
だが、嫁さんの不安は当然だと思い、全ての質問に答えた。
異動にはなったが、仕事を続けられるということに、嫁さんは少し安心したようだった。
「じゃあ、明日から仕事を頑張ってね」と言うと、嫁さんは出掛けた。
嫁さんの安心した顔を見て、俺も嬉しかった。
次の日、出社した俺は再び、朝から会議室に呼ばれた。
昨日と違うのは、俺を呼んだのが総務課長だということだった。
俺も話があったので丁度良かった。
総務課長は、俺の頭痛や不眠についての事を聞いてきたが
それより知りたいことがあった俺は「はい、大丈夫です」とだけ答えた。
総務課長の質問が終わってから、俺は尋ねた。
俺   「平川グループリーダーは、何か処分を受けたのですか?」
総務課長「処分?処分というと、どういう事かな?」
俺   「私は平川グループリーダーに殴られて、病院まで行きましたよ」
総務課長「殴られた?平川君からは、小突いただけだと聞いているけど?」
俺   「労働災害(労働災害)にもならないのですか?」
総務課長「労働災害?労働災害っていうのは、どういう事かな?」
何を聞いても無駄なように思えた。
処分をしたり労働災害扱いにしたりすれば、社内だけの問題で済ませる事が出来ない。
会社は、俺がされたパワーハラスメントを無いことにしようとしていた。
俺が会議室で知ったのは、会社の隠蔽体質だった。
また、それまではいい人だと思っていた総務課長も味方にはなってはくれないのだということも理解した。
第九章【俺は負け犬・・・】
会議室を出た俺は、現場に行かされた。ラジオ体操の曲が流れ社員が体操をしていた。
俺も、周囲の社員にチラチラ見られながら体操をした。
その後の朝礼で、俺が現場に異動になったことを伝えられた。
俺は下を向いて聞いた。みんなの顔を見ることが出来なかった。
朝礼が終わると仕事が始まった。久し振りの現場での仕事だったが、楽しかった。
現場での仕事が好きという訳ではない。
仕事自体は、平川の部署にいた方が大変だったが、やりがいはあった。
だが今はパワーハラスメントに耐えながら仕事をしなくて済むというのが嬉しかった。
新しい仕事場からは事務所内がよく見えた。
平川グループリーダーを含め、他の社員も何事もなかったかのように仕事をしていた。
「ヒャヒャヒャ!」という、特徴のある平川グループリーダーの笑い声も
豪快な内藤課長の笑い声も何度も聞こえた。
あそこには、もう俺の居場所はないんだな、と思った。
暴カを含むパワーハラスメントをしておいて、何の処分を与えない会社に対して腹が立った。
処分を受けない平川グループリーダーにもだ。
しかし、今は新しい仕事を覚える方が大切だと思い仕事に集中する事にした。
その日の休み時間、俺はラインにある椅子に座って休憩をしていた。
一人だった。誰も休み時間には俺に話しかける人はいない・・・そこに平川がやってきた。
「これ、お前のやろ?」
平川は手に持っていた俺の名刺入れや、印鑑を俺に渡してきた。
俺が平川の部署にいたときに使っていた物だった。
名刺は新しい部署で多くの人と知り合ってきた証だった。
俺はそれらの備品を無言で受け取った。
チラッと平川の顔を見ると、馬鹿にしたようなニヤニヤした表情を見せていた。
俺を自分の部署から追い出し、勝ったつもりだったのだろう。
ただし俺は、長期間によるパワーハラスメントで平川と闘う気力を失っていた。
俺は相変わらず、平川の部署にいた時と同様に、耐えながら仕事をしてしまっていた。
異動後、俺は幻聴だけは治まっていたが、頭痛と不眠には相変わらず苦しめられていた。
クリニックにも通わなければならなかった。
クリニックで処方された睡眠薬を飲めば眠れるが、翌朝が辛く運転出来ない。
それでは会社に行けないので、仕事がある前日は睡眠薬を飲めない。
一度、不眠がどうしても辛く仕事のある日の前日に睡眠薬を飲んでしまった事があるが
翌朝は、三回は事故りかけた。本当に苦しかった。
そして、会社でも相変わらず、平川のいやがらせは続いていた。
俺が事務所に入ると、平川は俺に音が聞こえるように、自分の鉄製のゴミ箱を蹴った。
ガシャンッという金属製の音・・・
俺が平川の方を見ると、凹むゴミ箱・・・平川は竹内と顔を見合わせ笑っていた。
事務所内での出来事なので、社長、部長、課長、皆、知っていた。
その後も、俺が通路を歩いていると平川から壁を蹴ってきた。
平川は俺を、自分の部署から追い出しただけでは満足しなかったようだった。
パワーハラスメントを世間に知られたくない会社も相変わらず何の対応もしなかった。
会社がそんな対応だったので、当然ながら新しい部署の社員の態度も冷たかった。
俺は会社に居場所を失っていた。
第十章【復讐のきっかけ】
異動させられてから約三ヶ月経った頃の出来事だった。
通路を歩いていると、後ろから平川の大きな声が聞こえた。
「早く、タヒねばいいのになぁ」
声の方向から、俺の事を言っているのは明らかだった。
振り返ると10mほど離れた場所に平川と後藤がいた。
平川も後藤も、俺と目が合っても目をそらすことなく笑っていた。
周りは数人の社員がいたが、誰も気にかける者はいなかった。
ここは、もう俺がいる場所じゃない。遅すぎたが、ようやく気が付いた。
反撃しなければ、何も改善されない。寧ろ悪化するだけだ。
平川に勝たなければ、状況は悪くなる一方だ・・・遅すぎたが、ようやく俺は復讐を計画する。
復讐を開始するために、先ずは弁護士に相談に行った。
かなり遠くに事務所のある弁護士先生を選んだ。
会社の近くの弁護士は止めた方が良いと思ったからだった。
今まで、大きなジ件等に巻き込まれたことがない俺は
弁護士に相談するということを躊躇してしまい、事務所には行きたくなかった。
事務所は小さな部屋が幾つかあるような感じだった。プライバシー保護の為だろう。
俺が事務所に入ると受付の女性が「こんにちは~」と明るい感じで言ってきた。
電話で予約しているということを伝えると
奥にいた男性が「ああ、片岡さんですか。お待ちしておりました」と大きな声で言った。
隣の部屋に案内された俺は、緊張しながらソファーに座った。
ソファーは座り心地のいい上品な感じだった。
俺は出されたコーヒーを、高そうなソファーに溢さないように気を付けて飲んだ。
弁護士先生は、電話で大まかな話を聞き、興味を持ってくれたようだった。
その上で、直接会って、更に詳しい内容を聞きたいようだった。
会社に相談しても、何の対応もしてもらえなかった俺は、最初はこの先生にも不信感を持っていた。
しかし、この先生は聞き上手で、話を聞き出すのが上手かった。
暫く雑談をしてから、俺はパワーハラスメントが始まった頃から今までの全てを話した。
随分と長く話したが、先生は黙って真剣に聞いてくれた。
俺の話が終わった後、先生は俺に
「それで片岡さんは、平川さんと会社に対し、どうしていこうと思うのですか?」と聞いてきた。
闘争心というものを完全に失っていた俺は、戦うなんて考えていなかったので
「いじめを止めて欲しいと思っています」と、弱々しく答えた。
すると先生が、いきなり立ち上がって
「これは、いじめなんてものじゃない!犯罪だ!」
大きな声で言った。俺は怖くなって、ビクッとした。
当時の俺は“大声”イコール“平川グループリーダーの怒鳴り声”だったからだ。
俺はただ、無言で先生を見上げた。
そんな情けない俺に、先生は俺がされたパワーハラスメントが
どんな不法行為に該当するのかを、親身になって説明してくれた。
刑事ジ件や民事ジ件に詳しくない俺は、持参したICレコーダーの録音ボタンを押してから説明を聞いた。
俺がされたパワーハラスメントは多くの不法行為に該当していた。
そして、そのパワーハラスメントに対して、見て見ぬ振りをしている会社にも責任問題がある。
平川グループリーダーの不法行為については多くの罪を追及できた。
また、会社にも「安全配慮義務違反や職場環境配慮義務違反といった罪を追及できる」とも言われた。
「訴えたら確実に勝てますが、その前に相手(平川)の動きを見ましょう」
「先ずは、労働局へ相談してみて下さい。訴えるのは十分に考えてからで間に合いますから」
俺は、コーヒーを飲み干し、お礼を言って事務所を出た。
近くのファミリーレストランに入った俺は、ICレコーダーにイヤホンを付けて先程の先生の説明を何度も聞いた。
法律の専門用語は、多くが理解できなかった。改めて、自分の知識の無さに呆れた。
(これでは駄目だ) と思った。
経済的にも裕福ではないので、先生に全てを頼る訳にはいかなかった。
ファミリーレストランを出た俺は、地元の県立図書館に向かった。
この県立図書館には、これから何十回とお世話になることになる。
深く考えずに図書館に入った俺は、どの様な本を読んだらいいのかも分からなかった。
そこで、受付の横にある検索用のパソコンで調べることにした。
パワーハラスメント、職場いじめ、労働法、生涯罪、安全配慮義務違反・・・
片っ端から検索し、適当に数十冊の本を集めた。
それらの本を読書コーナーと書かれた机に置いて、最初の数ページだけをパラパラっと読んだ。
一冊につき数ページだけだが、数十冊となると結構な時間が掛かった。
全ての本を読み終わると、何となくだが今の俺に必要な知識が分かった。
今の俺には、まだ法律の知識は早いように思えた。
それよりも、パワーハラスメントとは何か?
パワーハラスメント自体を詳しく知る必要があると思い
タイトルに「パワーハラスメント」や「職場いじめ」という文字が書かれている本を何冊か借りた。
家に帰った俺は、リビングの横にある和室で、借りてきた本を読んだ。
「何、読んでるの?」嫁さんが不思議そうに聞いてきた。
「自分がされた事が、どんな不法行為に当たるのか知りたくて、図書館で本を借りてきた」と答えると
「ふーん」とだけ言って、嫁さんはリビングに戻っていった。
本当は不安だったんじゃないかな?
それからの俺は、借りてきた本を何度も読んだ。
通勤中の信号待ち時間や、会社での休憩時間中も本を読んだ。
箸を持ちながら本を読むのは難しいので昼御飯は弁当から、おにぎりに変えた。
おにぎりならば、左手で持ちながら、右手で本を読めるからだ。
一週間、同じ本を何度も読み、休日には図書館で新しい本を借りる。
そんな生活を続けていくうちに、俺に変化が現れた。
平川グループリーダーと戦うという自信が付いてきた。
会社は平川グループリーダーに何の処罰も与えていない。
更に、俺が殴られて怪我をしたことについても労働災害にもしてくれてない。
それが隠蔽だとハッキリと理解した。
パワーハラスメントの本の中には、多くの事例が書かれている物も多い。
パワーハラスメント自体の内容は様々だ。しかし、会社の対応は共通している。
“ヒガイ者が動かない限り、何もしない”のだ。
本を読み、知識を得たことで、俺の勤めている会社もそうだと確信した。
何故、会社は隠すのか?当然だが、悪いことをしていると分かっているからだ。
だからこそ平川グループリーダーに何の処罰もしないし、俺の怪我についても労働災害扱いにもしない。
そんな事をすれば、外部に知られてしまうからだ。
ならば平川グループリーダーへの復讐は簡単だ。世間に知らせてやればいい。
それで、この会社の信用とイメージは地に落ちる。
そして、その責任を取るのは、平川グループリーダーだ。
俺は、今度は刑事、民事、労働法といった法律関係の本を読み漁った。
専門用語が多く専門用語を理解するために、別の本を読まなければならないといった苦労も多々あった。
余談だが、こんな専門用語を日々の仕事としている法律家は本当に頭のいい人なのだと思う。
時間さえあれば、本を読むという生活を続けた。
季節は秋になっていた2010年10月、俺の復讐計画は固まった。
そして、その計画には法律家は必要なかった。俺一人で出来ると確信した。
10月、俺は有給届けを出して、労働基準監督署に行った。
労働基準監督署に入るのは初めてだった。
勿論、会社にも平川グループリーダーにも伝えていない。今はまだ、知られる訳にはいかなかった。
労働基準監督署に入ると、奥から直ぐに職員さんが現れた。
「職場で、上司に暴カを振るわれて怪我をしました」
「第三者行為生涯として申告しますので、用紙を下さい」と伝えると
「はい、では労働災害課の担当者と変わりますので、椅子に掛けて、少々お待ちください」と言われた。
椅子は二つ向かい合って置いてあり、間に小さな机があった。
一分もしないうちに、別の職員さんが現れた。職員さんは、もう一つの椅子に座った。
先程、俺が説明したことが伝わっていないらしく、
「はい、労働災害課ですが、どうされました」と言われた俺は、同じことをもう一度伝えた。
説明を終えると、職員さんは第三者行為生涯届の用紙と
しおりを机に広げて、書き方の説明を丁寧にしてくれた。
職員さんの話では、殴られた怪我については間違いなく労働災害と認定されるが
頭痛、不眠、幻聴といった精神疾患の労働災害は、現時点ではハッキリとは分からないらしい。
精神疾患は、本当にパワーハラスメントで、そうなったのかを調べる為に
ヒガイ者や加害者からだけでなく、周囲の人達からの聞き取り調査が必要で多くの時間がかかるそうだ。
また、精神疾患が労働災害に認定されるのは、申請のある相談の内、十数パーセントしかないとも言われた。
俺は精神疾患については、労働災害の申請はしなかった。
目的は、治療費を取り戻すなんかではない。
平川グループリーダーのパワーハラスメントを労働局へ知らせることだったからだ。
そこで俺は、右胸を殴られて病院に行ったことがある怪我だけを労働災害として申請することにした。
これなら確実に労働災害に認定されると思ったからだった。
その暴カは10ヶ月ほど前の、昨年11月25日に受けていた・・・次にその時の状況を詳しく書こうと思う。
第十一章【殴られた時の状況】
俺は、平川グループリーダーの部署に所属していた。
俺がその部署に異動してから7ヶ月が経っていて
その頃のパワーハラスメントは暴カも当たり前になっていた。
それでも会社は平川グループリーダーのパワーハラスメントに対して
何の処罰も与えず、平川グループリーダーのやりたい放題といった感じだった。
俺は会社の対応で、社内には味方がいないと思い込み
誰にも相談せず、ただ黙って耐えながら仕事をしていた。
その日も俺は、いつも通りに朝から平川グループリーダーのパワーハラスメントに耐えていた。
午前9時40分頃だった。
椅子に座って仕事をしている俺に、平川グループリーダーが後ろから近付いてきた。
「なあ、タヒねや。何で仕事してんねん?何で辞めへんねん?」
平川グループリーダーは俺を罵り始めた。
俺の隣に座っている社員も、向かいの社員も見て見ぬ振り。
俺の後ろに席のある内藤課長も注意もしない。
そんな異常な状況で俺は、パソコンのディスプレイを見ながらキーボードを叩いていた。
俺は平川グループリーダーに歯向かう気力も勇気もなくなっていた。
そんな勇気があるわけはない。仕事の気力すらなくなっていたのだから・・・
そんな情けない俺に、力になってくれるような社員はおらず、周囲も何事もないように仕事をしている。
すると突然、平川グループリーダーが左手で俺の肩を抱き、
「何とか言えや!舐めとんのか?」
と大声で怒鳴り、右拳で俺の右胸を3回殴った。
いきなりだった為に油断をしていて、
力を抜いていた俺は、3回共、まともに右胸にパンチを受けてしまった。
右胸から脇に痺れるような痛みが走り、右腕が上がらなくなった。
平川グループリーダーは俺をナグると何事もなかったかのように去っていった。
去っていく平川グループリーダーを見たとき、内藤課長と社長が見えた。
だが、二人とも自分の椅子に座って、何事もないようにディスプレイを見ていた。会社全体が狂っていた。
右腕が上がらなくなった俺は、左手だけで仕事をした。
書類を書くのもキーボードを打つのも、電話を取るのも全て左手でしなければならなかった。
俺は右利きなので、当然、仕事の効率は落ちる。いつもの時間では仕事が出来なくなった。
その事により、周囲に迷惑を掛けると思った俺は事務所を出た。
暫くすると、内藤課長が事務所から出てきた。
「内藤課長、すみません。お話があるのですが」と言うと、内藤課長は立ち止まった。
「平川グループリーダーに3回、殴られて右腕が上がらなくなりました。仕事にも支障が出ると思います」
すると、内藤課長は「分かった。平川君を注意しておく」とだけ言って、歩いていった。
内藤課長が何の対応をしないのは明らかだった。
今までも、そうしてきたのだから・・・そして、その通りになった。
会社は、怪我を労働災害に扱うこともせず、平川グループリーダーに対しても何の処罰もしなかった。
そして、その事で平川グループリーダーは、パワーハラスメントの自信を更に付けたようだった。
右腕が上がらない俺の顔の前に拳を出し「また、殴ってやろうか?」とニヤニヤしながら言ってきたりした。
数日後、俺は外科病院に行った。殴られた痛みが、まだ治らなかったからだった。
病院で俺は「右胸部打撲の、三日間の安静を要す」と診断された。
会社が労働災害と認めてくれなかった為に、
労働災害の用紙をもらっていなかった俺は健康保険証を使い、治療費を支払った。
それで、その怪我については何の進展もなく終わっていた。
今、思うと俺の対応も会社の対応も異常だ。
しかし、当時はこんなパワーハラスメントは日常茶飯事だったので
労働基準監督署に相談に行くまでは特別に思い出すこともなかった。
第十二章【会社へ報告】
俺は、労働基準監督署から手に入れた、第三者行為災害の書類を、会社に持っていった。
自分で記入できるところは、提出書類と一緒に貰ったしおりを見て書いていた。
事務所に入ると総務課長が座っていた。
「こちらの書類に会社のサインをお願いします」と言うと
総務課長は書類を見て、明らかに驚いた表情で「何これ?労働災害ってどういう事?」と聞いてきた。
「一年近く前に平川グループリーダーから殴られて病院に行った件で、
 未だに労働災害にして頂いていないので、労働基準監督署から書類を貰ってきました」
「労働基準監督署に提出するには、会社のサインが必要ですので記入をお願いします」
「ちょっといい?」
総務課長は小さな声でそう言って、立ち上がり、俺を会議室に連れていった。
周囲の社員に聞かれたくなかったのだろう。実際、多くの社員が俺と総務課長を見ていた。
「さっきも聞いたけど、労働災害って過去に平川君に小突かれた件だよね?」
「小突かれたんじゃありません。殴られたんです」
「平川君からは小突かれたと、聞いているけど?」
「右腕が上がらなくなるほど拳で力強く、3回、ナグるのが“小突く”ですか?」
「・・・」
総務課長は黙ってしまった。暫くの沈黙、総務課長は俺を見ていた。
「労働災害にする理由は何?」と聞いてきた。
俺は、復讐計画を知られる訳にはいかなかったので、
「治療費を、俺が支払うのが納得いかないだけです」と言った。
「分かった。会社で検討する」総務課長はそれだけ言って去った。
(・・・何の検討をする必要があるんだよ・・・) と思ったが
今は会社のサインだけが目的なので、俺は何も言わず会議室を出た。
次の日の朝、いつも通り俺は出勤時間より随分早く出社した。
俺は暗い工場で、携帯電話を弄っていた。
「お早う」暗い通路から、総務課長が挨拶をしてきた。
「お早うございます」と挨拶すると、また会議室に呼ばれた。
会議室に入ると総務課長が口を開いた。
「昨日に言われた労働災害だけど、先ずは時効を調べたんだ」
労災保険の保険給付を受ける権利は、一定の期間行使しないでいると時効により消滅する。
一般の債権は10年で時効消滅するが、労災保険ではもっと短い期間で時効が完成することになっている・・・
(時効なんて、とっくに調べている。平川グループリーダーに殴られたのが、約1年前・・・問題ない)
「時効はまだ先だから、労働災害の申請は出来ると言われた」
(はいはい、分かってますよ)
「但し、労働基準監督署に確認したら、会社が治療費を支払ってもいいんだって」
そう言って、総務課長は治療費をその場で支払おうとした。
(やはり、そうきたか・・・)
予想通りだった。やはり、会社はパワーハラスメントを労働基準監督署に知られたくなかったと確信した。
治療費を払うことで、パワーハラスメントを隠蔽しようとしていた。溜め息をつきたかった。
呆れるような予想通りの行動を取られた俺は、計画通りに事を進めることにした。
「治療費は、会社から返して頂く訳にはいきません」
「第三者行為災害の書類にサインさえして頂ければ結構です」
俺は落ち着いた口調で言うと、総務課長は(何で?)という顔をした。
「治療費は会社が全額、支払うよ。そのお金で奥さんと美味しい物でも食べてよ」
総務課長はご機嫌を取るような笑顔で言ってきた。
(ふざけるな!俺の金だ。何で使い方まで総務課長に決められなければならないんだ・・・)
腹が立ったが、今は総務課長に怒ってはいけない。
そんなことをすれば、サインをさせるのが更に難しくなってしまう。
「いえ、会社から治療費を貰うと将来、困る事になるかもしれないですよね?」
「・・・困る事って何が?」
「例えば、後遺症が出た時に会社が倒産していたら、新たな治療費は誰が払ってくれるのですか?」
そこまで言うと、総務課長は明らかに困った顔をした。
総務課の課長だ。俺が何を言いたいのか、直ぐに理解したのだろう。
無言の総務課長の顔を見て、俺は続けて言った。
「もし、倒産になっても労働災害扱いになっていれば、労働基準監督署もしくは労働局に相談が出来ますよね?」
「でも会社から治療費を受け取ってしまったら、そんな相談を誰にも出来なくなり俺は困ってしまいますよね?」
「だから、労働災害にしてもらわないと困るんです」
捲し立てるように、一気に言った。
「・・・会社が倒産すると思っているの?」
「そんな事は思っていません。あくまで可能性を言っているんです」
「自分の体の事ですから、慎重になってしまいますよね?」
そう言うと、総務課長は頷いた。
(早く諦めろ。今の俺に勝ち目が無いことは明らかだろう。会社はサインするしかないだろう・・・)
俺は総務課長を見ながら、そう思っていた。二人とも、沈黙が続いていた。
時間にすると30秒程だと思うが、俺には随分と長く感じられた。
「分かった。少し検討させて」
それだけ言うと総務課長は事務所に戻ってしまった。
総務課長、一人では判断が出来ないことのようだった。部長か社長に相談するのだろう・・・
(また検討ですか・・・無駄なのは分かっているだろう・・・)
数日後、俺は総務課長に呼ばれて会議室に入った。会議室には杉本部長が座っていた。
「片岡君から受け取った労働災害の書類を検討した結果、会社は労働災害と認める事にしました」
杉本部長は落ち着いた優しい口調でそう言った。
この人はいつも敬語だった。俺は日頃から、この部長が怖かった。
と言っても、顔が怖いとか、いつも怒っているとか
平川グループリーダーの様なパワーハラスメントをしてくるとかではない。
この人の判断力の鋭さや、知識の広さや、人を見る能力の高さが怖かった。
人としての器のレベルが違う。俺が努力したところで勝てる相手ではなかった。
この人は平川グループリーダーや総務課長とはレベルが違った。
正直言って、この件では関わってきて欲しくなかった人だったが無理だったようだ。
俺は、計画を見抜かれた時の事を考えた。頭をフル回転させた。
部長を目の前にして、俺の心臓は大きく鼓動していた。
「平川君から暴カを受けた件について、会社は再三、注意していた」
「しかし、彼は会社の意向を無視しパワーハラスメントを止めなかった」
「その事を会社で検討した結果、労働災害と認めて書類にサインします」と部長は言った。
部長はパワーハラスメントを平川個人の問題として解決しようとしていた。
俺の目の前には、俺が総務課長に提出した第三者行為災害の書類が会社のサインが書かれた状態で置かれていた。
呆気なく簡単に、上手くいったのだ。俺の計画は部長にも気付かれていなかった。
でも、その理由は今思えば会社も平川グループリーダー同様に俺をなめていたのだろう。
片岡に反撃なんかできるはずはない、と高を括っていたのだろう。
部長も俺に油断していたようだった・・・ヘタレキャラが逆に功を奏したようだった。
「では、会社内で平川グループリーダーによる暴カがあったということを認めてくれるのですね?」
と、俺は下を向いたまま弱々しく質問した。
ヘタレキャラの方が、部長は更に油断すると思ったからだった。
「ああ、認める。会社として注意もしてきた」
あっさりと部長は認めた・・・
余談だが、部長は注意もしてきたと言ったが俺の前で注意した事は一度もない。
だが、今はそんな事はどうでもよかった・・・
気が抜けて背中が丸くなりそうだったが、
部長はそんな仕草一つでも、俺の復讐計画を見抜く可能性があると思ったので注意した。
会議室を出るまで気は抜けなかった。
俺は俯いたフリをしてもう一度、胸ポケットに忍ばせたICレコーダーを見た。
録音ボタンは赤く点灯していた。無事に録音は出来ている。
部長も総務課長もICレコーダーの存在には気が付いていない・・・
ヘタレの片岡はICレコーダーなんて用意する訳ないと思っていたのだろう。完璧だった。
これ以上、この部屋にいるのは何の意味もないと思った俺は立ち上がり
頭を下げて「ありがとうございます」と言って、書類を手にして会議室を出た。
会議室を出た俺はトイレの個室に入り、もう一度、書類を見た。
事業主の欄に会社と社長の印が押してあった。
更にICレコーダーを再生すると部長の声で、
「・・・ああ、認める。会社として注意もしてきた」
録音もバッチリだった。これで労働基準監督署を動かせる。それだけではない。K察もだ。
そして、その全責任を取るのは平川グループリーダーだ。
会社が世間に隠すのであれば、俺は世間に公表しよう。
その責任を平川グループリーダーに取らせよう。それが俺の復讐計画だ!
◎第十三章【 K察沙汰 】
数日後の仕事中、歩いている総務課長を見かけた俺は、仕事の手を止めて総務課長に近付いた。
「総務課長、すみません」
総務課長は立ち止まり、黙ったまま俺を見た。
「今日の昼から、平川グループリーダーに殴られて怪我をした件で、労働基準監督署に書類を提出に行きます」
ここまで言ったが、総務課長は頷いただけで無言だった。予想通りだった。
俺の予想では、次の俺の言葉で総務課長の驚く顔が見られる筈だった。
「そして、その後にK察署に行って、生涯ジ件として被害届を出そうと思いますので会社として対応をお願いします」
(・・・さあ、驚け。K察沙汰は会社にとって、完全に予想外の筈だ。俺に驚く顔を見せろ・・・)
そう思っていた俺には総務課長の返事は意外過ぎた。
「あっ、そう。うん、分かった」
それだけ言うと、総務課長は歩いて去ってしまった。
(えっ!!!)驚いた。俺の方が驚かされてしまった。
何故、驚かない?K察だぞ?マスコミに知られるかもしれないんだぞ?
会社の安全配慮義務違反等も世間に知れ渡るかもしれないんだぞ?嫌な予感がした・・・
(会社は俺の復讐計画に気が付いている?)
もし、そうだとしたら事前に対策をとられていることになる。ヤバい、ヤバい、ヤバい。
焦った。仕事が手につかなくなった。
どこでバレた?俺の復讐計画に落ち度は無かった筈だ?事務所内を見た。
社長、部長、総務課長、内藤課長、平川グループリーダー・・・皆が俺を笑っているように思えた。
もう涼しさを感じる季節になっていたが、俺は汗をかいていた。
どれくらいの時間が経っただろう。数十分位だったと思う。
総務課長が駆け足で俺の所にやって来た。
それに気が付いた俺の心臓は鼓動が変になった。ストレスが原因の不整脈って奴かもしれない。
「片岡君、ちょっといい?」
そう言うと、総務課長は俺を会議室に呼んだ。
二人とも椅子に座った途端、
「さっきは忙しくて、よく聞いていなかったんだけどK察に被害届を出すって、どういうこと?」
・・・総務課長は事の重大さを理解していないだけだった。
拍子抜けしてしまった。数十分の心配は無意味だったのだ。
その事を理解した俺は計画を続行した。
俺   「えっ、だって殴られて怪我をしたんですよ?」
総務課長「でも何でK察なの?」
俺   「特に理由はないですよ。被害を受けたから、被害届を出すだけです」
総務課長「・・・労働災害の申請だけで終わったと思っていたんだけど?」
俺   「何でいちいち会社に報告しなければならないんですか?K察に知られると不味いんですか?」
総務課長「不味いってわけじゃあないんだけど・・・目的は何なの?」
俺   「目的なんてないですよ。被害を受けたから、被害届を出すだけです」
総務課長「でもK察って・・・労働災害の申請だけで終わったと思っていたんだけど?」
・・・それ、さっきも聞いたよ。
俺   「終わったと思っていたのは、総務課長だけじゃないですか?」
    「なんか俺、間違った事を言っていますか?」
総務課長「・・・」
総務課長は明らかに焦っていた。俺を見ながら黙ってしまった。
平川グループリーダーを苦しめるには、自分のせいで会社の信用が落ちるという事を理解させなければならない。
そこで俺は、総務課長に脅しをかけた。
「僕がパワーハラスメントを受けている時に
 社長もいましたけど平川グループリーダーを処分しませんでしたよね」
「それって調べたら、会社の安全配慮義務違反や職場環境配慮義務違反に該当するらしいですね」
俺のこの言葉で、総務課長は更に焦った表情を見せた。
その表情は、総務課長が安全配慮義務違反や職場環境配慮義務違反という言葉を知っている証拠でもあった。
「うん、分かった。何かあったらまた報告して」
総務課長はそう言うと席を立った。
(何かってなんだよ・・・) と思ったが、もう総務課長に用は無いので俺も会議室を出た。
会社は当然、平川グループリーダーにK察沙汰になることを伝えるだろう。
焦るのは平川グループリーダーだけではない。会社にとっても公になるのは都合が悪い筈だ。
平川グループリーダーの性格上、謝ってきたりはしない筈だ。
俺をなめきっているし、大勢に社員の前でパワーハラスメントをしてきた以上、プライドもある。
謝るなんて出来る筈はない。さあ、苦しめ。平川グループリーダー・・・そう思った。
第十四章【 労働基準監督とK察 】
昼休みのチャイムが鳴った。
普段ならば昼御飯を食べる時間だが、その日の俺は車を走らせた。
目的地は二ヶ所。労働基準監督署とK察署だ。
テレビドラマや映画の知識しかないが、K察署は時間が掛かりそうだったので先に労働基準監督署に向かった。
着いたのは早かったが、午後1時まで車の中で時間を潰した。
その後、労働基準監督署で、第三者行為災害の書類を提出するとあっさりと受理された。
「書類を確認後、ヒガイ者と加害者の双方から事情を聞かなければならないので
 平川さんと会社の方に電話して宜しいですか?」
と聞かれた俺は、勿論構わないという事を伝え、労働基準監督署を出た。
労働基準監督署にいた時間は15分程だった。
労働基準監督署で書類を提出した俺は、車で数分の所にあるK察署に行った。
被害届の申告は小さな交番でも可能らしいが、どうせなら大きな管轄のK察署にした方がいいと思った。
俺は今まで平和な人生を送っており、K察に行ったなんて交通事故を起こした時位だった。
生涯ジ件の被害届の申告なんて生まれて初めてだ。
少し緊張したが(俺はヒガイ者だ。悪いことはしていない)と自分に言い聞かせてK察署に入った。
自動ドアを通ると受付があった。受付は窓が小さく低く、少し腰を下げないと中の人の顔が見えなかった。
「職場で上司に殴られて怪我をしました。診断書を持ってきたので被害届の作成をお願いします」
と言うと、刑事課の担当者を呼ぶのでソファーに座って待つようにと言われたので、それに従った。
ソファーに座って署内を観察した。
初めての場所を観察するのは大好きだったので周囲の観察を楽しんだ。
K察署の第一印象は“古っぽい”だった。新しい感じのする労働基準監督署とは正反対だ。
壁も汚いし、床も汚れている。正直言ってソファーも座りたくない・・・そして、全体的に暗い。
豪華にすると世間の批判があるのは分かるが、ちょっとみすぼらし過ぎない?
(ボロいな~) なんて思って観察していると、女性の刑事さんが階段から降りてきた。
若く見えるが、化粧をしていないように見える。
眉毛も手入れしていないように見えた。
おまけに服装は建築現場の作業者のようなツナギみたいなのを着ている。
こんな事を書いたら侮辱罪で訴えられるかもしれないが
恋愛には全く興味がありません、みたいな刑事さんだった。
(スタイルは良いし、顔の素材も良いのに残念だな~) なんて思った。
その刑事さんに案内されて、小さな部屋に入った。
取調室なのだろうか?部屋は狭く、電話が置かれた小さな机が一つと椅子が二つあるだけ。
テレビ等で出てくる取調室は、広い部屋の真ん中に椅子と机があるが全然違う。狭い。
そんな窮屈な部屋で、椅子に座ると、
「被害届を出すとK察は捜査をするかもしれません」
「そうなれば、マスコミに連絡が入り新聞やテレビのニュースに出たりするかもしれませんが良いのですか?」
それが狙いだった俺は構わないという事を伝えると事情聴取が始まった。
この事情聴取が長かった・・・基本的には刑事さんの質問に答えるだけなのだが
何度も同じことを聞かれたり、事務所の見取り図を書かされたり、理由は分からないが場所移動したり・・・
刑事さんは俺の話の殆どを紙に記録した。
(書くの大変でしょう?ICレコーダーでも使ったらいいのに・・・)と思った。
予想はしていたが、被害届の申告は大変だった。
時間にして二時間程だったがクタクタになってしまった。しかも調書は今回だけではないらしい。
「今日の俺の話を正式に書面にするので、後日、確認に来てもらいます。書面が出来たら連絡します」
刑事さんに言われた俺は、(まだあるのかよ?)と思いながら「はい、宜しくお願いします」と言ってK察署を出た。
次の日からも、俺は普通に出社していたが、会社からも平川グループリーダーからも何の動きもなかった。
数日後、素材だけは美人な刑事さんから電話が掛かってきた。
「調書が完成したので確認して欲しい」との事だった。
電話を切った後、総務課長に調書が完成した事を伝えると会議室に呼ばれた。
「K察は何て言ってるの?」
いきなり総務課長にそう聞かれた。俺はありのままを答えた。
俺の話が終わると総務課長は
「あっそう・・・平川君に被害届の話をしたら、随分と困っててね~」
「平川君は反省しているみたいだよ」
・・・何を言ってる?アイツが反省なんかする訳ないだろう。
K察沙汰にされたから慌てているだけだろう。呆れて黙っていると
総務課長「もし、平川君が謝罪をしたら被害届の取り下げも検討してくれるのかな?」
平川が俺に謝る筈はないと思った俺は「そうですね」と適当な返事をして、会議室を出た。
「被害届だけでも捜査はします。平川さんを呼び出して事情聴取もします。だから刑事告訴は必要ありません」
刑事さんは少し強い口調で言った。
本当ならば、刑事告訴をするかしないかは告訴人が決めることであり
K察が、告訴が必要かどうかは判断できない。
また、K察は刑事告訴の受理を拒否する事はできない事になっている。
では何故、刑事さんは刑事告訴が必要ないと言ったのか・・・
答えは『刑事告訴は面倒臭い』からだ。
しかし、当時の俺はそんな理由を知らず
刑事さんが必要ないと言うのであれば、そうなんだなと思ってしまい刑事告訴に切り替えなかった。
「そうなんですか。分かりました」と言ってK察署を出てしまった。
ここで、少しだが、被害届と刑事告訴について書こうと思う。
第十五章【 被害届と刑事告訴の違い 】
先ず被害届とは、何らかの犯罪の被害に遭った者が被害の内容をK察などの捜査機関に申告する届出をいう 。
しかし、被害届というものには大きな弱点がある。
被害届はあくまで「被害を受けたので報告します」という意味しかない。
即ち、K察は「はい、被害を受けたのですね。わかりました」と受理だけして放っておいても問題はない。
被害届には、処罰を求める意思表示が含まれていない。
被害届に、K察に捜査義務は発生しないのだ。
きちんと捜査をし加害者を取り調べ、刑罰を与えるには被害届だけで終わってはいけない。
刑事告訴をする必要がある。
ところが、この刑事告訴だが、現実には受理はかなり厄介だ。
次に刑事告訴の説明を簡単にしたい。
刑事告訴とは、犯罪のヒガイ者等が捜査機関であるK察または検察に対して
犯罪が行われている事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示のこと。
被害届と違うのは“犯罪者の処罰を求める意思表示が含まれている”ということだ。
また、刑事告訴には捜査機関は捜査をする義務が発生する。
現場検証や加害者の取り調べといった捜査が必ず行われる。  
先程も書いたが、被害届はK察に捜査義務は無い。
受理だけして放っておいても問題はない。
しかし、刑事告訴は違う。受理をすればK察には捜査義務が発生する。
だから、K察は被害届だけで止めたがる。ここのK察署もそうだった。
第十六章【 平川 】
調書の確認をしてから数日後の事だった。
いつも通り、現場ラインで仕事をしていると会議室に呼ばれた。
まあ平川関係の話だと思っていたが、会議室のドアを開けた瞬間、体が凍りついた。
平川と内藤課長が、そこにいた。二人とも俺を見ていた。
(何だ、これは?どういう状況だ?何故、二人がここにいる?)
手には汗をかいているのがハッキリと分かった。
パワーハラスメントを受けていた過去の記憶が甦った。俺はまだ平川が怖かった。
何が始まるのか理解できなかった俺は、体が固まったまま下を向いていた。
会議室が静まり返っていた。その沈黙は、時間にして数秒程だと思うが、とても長く感じられた。
最初に口を開いたのは内藤課長だった。
「今日は、平川くんから片岡君へ言いたいことがあるということで来てもらった」
内藤課長がそう言うと、平川が口を開いた。
「私のグループに配属時に、貴方に対し行き過ぎた指導
 また不適切な言動があった事を認め、お詫び申し上げます」
「大変、申し訳ありませんでした」
平川はそう、一気に言うと頭を下げた。俺は驚いた。あの平川が謝ったのだ。
平川も内藤課長も俺を見ていたが「・・・はい」としか言えなかった。
二人を残して、俺は会議室を出た。
平川が謝った・・・?恐らく、会社から謝るように言われたのだと思う。
それでも俺には完全に予想外の出来事だった。
俺は、このまま復讐を続けていいのか分からなくなってしまった。
数日後の休日に、俺は再び弁護士先生を訪ねた。
俺は先生に、労働災害扱いにしたこと、K察に被害届を出したこと
会社が明らかに焦っていたこと、平川が謝ってきたこと、全てを話した。
先生は俺の目を見て、一言も喋らずに話を聞いてくれた。
俺の話が終わると、先生が口を開いた。
「それで、貴方はどうしたいのですか?」
それは俺の方が知りたい事だった。俺は今の気持ちを正直に話した。
「私は私だけでなく、家族まで苦しめられました」
「だから、その復讐として平川と平川の家族が苦しめばいいと思っていました」
「平川が犯罪者となれば、奥さんや子どもは恥ずかしい思いをし一生苦しませる事が出来ると思っていました」
「でも、平川の謝罪を聞いて、それはやり過ぎなのでは?と思うようになりました」
ここまで言うと先生が「相手の誠意が伝わったという事ですね?」と聞かれたので、頷いた。
「誠意が伝わった以上、相手を苦しめようと考えるのは難しくなります」とも言われた。その通りだった。
謝ってきたのは被害届を取り下げて欲しいからだろう。
内藤課長もいたのは、K察沙汰は会社にとっても困るからだろう。
そう思ったが、あの平川が謝ってきたのは全くの想定外の出来事だったので俺には誠意として伝わっていた。
「ADRってご存知ですか?」
先生のその言葉には聞き覚えがあった。ADRとは『裁判外紛争解決手続』の事。
訴訟の本を読み漁っている時に、その言葉を覚えていた。
ADR『裁判外紛争解決手続』とは紛争を訴訟手続に頼らずに
公正な第三者に関与してもらって、解決を図る手続きの事。
訴訟では解決までに長い時間や高額の費用を必要とする。
更にプライバシーが晒されるという問題が生じる場合もある。
そのようなことを望まない場合の紛争解決法の一つがADR『裁判外紛争解決手続』である。
解決方法としては、裁判所において行われる「調停」
行政機関、弁護士会,社団法人その他の民間団体が行う「仲裁」や「斡旋」
当事者同士による「示談」などの手続などがある。
簡単に言えば、平川に慰謝料を払わせて、俺の復讐を終わらせるという事だ。
(そんな事が可能なのか?平川に金を払わせる?幾ら?
 どうやって?平川が払えなかったら、どうなるの?裁判になるの?)
色々な不安が頭の中を駆け巡った。
だが、平川は謝った。ということは平川も許して欲しいと思っているはずだ。
争いを解決出来るならば、慰謝料は払うんじゃないか?
そして、素直に払えば許してやってもいいんじゃないのか?
俺「平川と示談をしたいので、示談書の作成をお願いします」
「調停」でも「仲裁」でも「斡旋」でもなく「示談」を選んだのは
この弁護士先生は格安で相談に乗ってくれているからだった。
頼めば俺と平川の間に入ってくれそうな雰囲気だったが
必要以上に先生の力を借りるのはいけないような気がした。
慰謝料計算を依頼した俺は、お礼を言って事務所を出た。
(示談か・・・考えた事がなかったな・・・)
そう思った俺は、図書館に向かった。示談というものの詳しい知識が必要だと思ったからだった。
図書館の法律関係のコーナーに行くと、タイトルに示談という文字が書かれた本が幾つもあった。
殆どが以前に読んだことがあったが、
その時は示談で許そうとは思っていなかったので、しっかりとした知識にはなっていなかった。
最初の数ページだけを読み、役に立ちそうな本を何冊か借りた。
関係ないかもしれないが、この時、恋愛小説も借りた。
今思えば、復讐心が薄れて、心に余裕が出来てきたのかもしれない。
示談書の作成は簡単にできそうだった。自分のパソコンソフトで作成出来るし、内容も難しくはない。
そう思った俺は、弁護士先生に電話をし「示談書は自分で作るので、確認だけをお願いします」と伝えた。
俺は自分のパソコンを立ち上げ、示談書を作成した。
詳しくは書かないが、平川に請求する慰謝料は7桁の金額だった。
慰謝料算定計算というものがあるらしく、金額は完全に弁護士先生にまかせた。
慰謝料を計算するのに多くの質問をされた。
俺の給料の額は勿論、会社の規模や本社の事まで聞かれた。平川の年収まで聞かれた。
「知りません。」と答えたが・・・
ちなみに慰謝料の金額だが、相場なんてものはない。当然だ。
『心の傷み』や『精神的苦痛』なんてものは人によって違う。
そんなものに金額が幾らだとハッキリなんて決められない。
だから慰謝料算定計算というものも、非常に曖昧で相談する法律家によっても変わるそうだ。
弁護士先生からは「会社からも慰謝料が取れる」と言われた。これも当然だ。
会社は完全に安全配慮義務違反や職場環境義務違反を犯している。
そんな事は何冊も読んだ労働法関係の本で熟知していた。
でも俺は会社に慰謝料を求めるのは止めた。
復讐のターゲットは平川だけだったし、会社から慰謝料なんか取ったら会社にはいられなくなると思ったからだった。
だから示談書には甲が平川、乙が俺の二人だけにして、会社には立会人という事にした。
11月、俺は自分の部署の課長に声をかけた。
「平川の件で話があります」と言うと、課長は直ぐに俺を会議室に連れて行った。
椅子に座ると、課長は俺をじっと見た。会社は俺の行動に注目していたのがよく伝わった。
俺は示談書と添付書類を渡した。
そして当初の復讐計画が『会社の信用とイメージを落とし、その責任を平川に取らせる』である事も伝えた。
それだけ伝えると、会議室を出された。その後に、課長は総務課長と再び会議室に入った。
俺は会議室に呼ばれなかったが、課長が手に示談書を持っていたので、俺の話をしたのは間違いないだろう。
それから数日は総務課長や社長がスーツを着て出かける姿を何度も見た。
弁護士の所にでも行っていたのだろうか・・・
数日後、総務課長に会議室に呼ばれた。会議室に入ると杉本部長がいた。
「片岡君(俺)の用意した示談書を読ませて頂きました」
「読ませて頂いた結果、会社としても片岡君と平川君の争いを
 穏便に済ませたいので示談が成立するように協力させて頂きます」
杉本部長が淡々とした口調で言った。
「但し・・・」杉本部長は続けた。
部長「二点の示談書の変更と一点の追加をお願いしたい」
  「それでいいのであれば、会社は争いを解決するように全面的に協力します」
俺 「変更と追加って何ですか?」
部長「先ず変更だけど、会社を立会人ではなく丙にさせて欲しい。それが一点目」
  「二点目として、再発防止“報告書”だけど、それを再発防止“誓約書”にさせて欲しい」
それが何を意味するかは、すぐに分かった。
一点目の会社を丙にするのは、会社も訴えられるのを防ぐためだ。
部外者である立会人では、示談終了後も俺が会社を訴える事が出来るからだ。
二点目の再発防止“報告書”を再発防止“誓約書”に変更するのも分かった。
何故、パワーハラスメントを始めたか・・・それを具体的に文書にはしたくないのだろう。
これは恐らく、平川の希望なんだろうと思った。
それに平川自身、自分が竹内や後藤に唆されているなんて気が付いていないのだろう。
だから、再発防止報告書なんて書けないのだろう。
正直言って、二点目の再発防止報告書を再発防止誓約書に変更する事を、杉本部長が言ってきた事は腹が立った。
会社はこの状況でも、平川を庇おうとしている証拠だったからだ。
だが、杉本部長を怒らせたくない、この人を敵に回したくないという思いから我慢した。
部長「そして、追加の一点だけどね・・本ジ件を第三者に口外しない、という文を追加させて欲しい」
  「争いが終わってから、人の噂になるのを防ぎたいんだよ」
・・・ふざけるな、と思った。
人の噂になるのを防ぎたい?違うだろ?隠したいだろ?世間に知られたくないのだろう?
どこまで隠蔽体質のあるブラック企業だよ・・・呆れて下を向いてしまった・・・
だが、ここで怒ってしまったりするのは良くない。
相手は杉本部長だ。器が違う。俺が勝てる相手ではない。
それに平川を追い詰めるのに、会社の協力は必要だ。会社との関係を悪化させるのは良くない。
当初とは違ったが、目的が平川への復讐であることには変わりはない。
ここは譲歩すべきと判断し「はい、分かりました」と俺は答え、会議室を出た。
それから数日後、総務課長がやって来た。
総務課長「平川君が示談を受け入れると言っている」
    「でも直ぐにはお金を用意出来ないから、少し待ってあげて欲しい」
俺   「少しってどれぐらいですか?」
総務課長「ハッキリとは言えないんだけどね。直ぐにまた連絡するよ」
それだけ言うと、総務課長は去っていった。
後で聞いた話だが、平川は弁護士に相談したらしい。
そして、その弁護士に「争っても絶対に勝てない」と言われたらしい。
会社も裁判なんかされたら困る。世間にパワーハラスメントがあった事を知られてしまう。
その為、会社も平川に、示談するように圧力をかけたそうだ。
平川は会社に切り捨てられた。俺の目的は、平川に対する復讐だ。金ではない。
だから平川が示談を受け入れようが、断ろうが知ったこっちゃなかった。
支払うにしても、期日なんか設定していない。
それに支払いを先になれば、それだけ長く平川の苦しむ顔を見ることが出来る。
金が用意出来ないというのは、俺の復讐には好都合だった。
それから俺は数人の社員に、この話をした。
「平川が示談を断れば、この会社が潰れるかも」という話をした。
数百人の全社員が職を失うかも・・なんて話をした。
ここは田舎だ。噂はあっという間に広がる。
数日後には多くの人間が、示談に応じるように平川に圧力をかけ始めた。
中には「平川さんは反省しているよ。だから、復讐なんてしない方がいいよ」
なんて俺に言ってくる社員もいたが「会社が潰れて欲しくなかったら、平川に言え」と突っぱねた。
会社中が、この話で持ちきりになった。
それでも平川は、竹内や後藤と大声で「ヒャヒャヒャ」と笑ったりしていた。
だが、それが只の強がりであることは誰の目にも明らかだった。
それから数週間、平川は頻繁に会社を休んだ。
総務課長も何度か俺の所にやって来て、平川の状況を説明した。
パチ○コをしているのが原因かは知らないが、平川は貯金がないらしく
「親戚に借りてでも、示談すると言っているから」なんて事も言ってきた。
出社しても、平川の行動は明らかに変わっていた。
イライラしているそぶりが多くなり
特徴のある「ヒャヒャヒャ」という笑い声は聞こえなくなった。
更に遠くから俺をじっと睨んできた事もあった。
すれ違いざまに「べーっだ」なんて言ってきた・・・子供かよ。
俺が、仕事が終わってから家まで運転していると
平川も車で後ろをピッタリついて煽ってきたりもした。
距離にして15kmほどだったが、俺は平川が追突してくるのかと思い
ICレコーダーで状況を録音しながら運転した。
平川が頻繁に休んだために仕事にも色々支障が出たようで、内藤課長はフォローで忙しそうだった。
12月6日、俺はまた総務課長に会議室に呼ばれた。会議室に入るといつも通り、杉本部長がいた。
相変わらず、器の違いがオーラとなって、体から放たれていた。
俺は示談金を用意したのだと思って椅子に座った。
今まで通り、口を開いたのは杉本部長だった。
「平川君は示談をしたいらしい。だが、奥さんが示談金の支払いに納得しないそうだ」
「そこで、奥さんを説得するために、一ヶ月ほど待ってくれと言っている。そうして貰えないだろうか?」
・・・・・何を言っている?・・・なあ、コイツは何を言っているんだ?
腹が立った。時間を稼ごうとしている平川。事の重大さを理解していない平川の奥さん。
この状況で平川を庇おうとしている会社。全てに腹が立った。
俺は下を向いて唇を噛んでいた。拳を強く握りすぎて、指の関節が痛くなっていた。
なあ、切れていいよなぁ?俺はもう、十分に我慢したよなぁ?
もうこれ以上、我慢なんてしなくていいよなぁ?
いきなり立ち上がった為に、椅子が大きな音を立てて倒れた。
杉本部長も総務課長も、驚いた表情で俺を見上げた。
「俺は平川のパワハラのせいで自刹まで考えた!それで嫁さんにも子供にも心配をさせてしまった!」
「何が、奥さんを説得出来へんや?」
「それやったら、金なんか要らんから、示談を断ったらええんやないか?」
「俺の目的は金なんかやない!平川への復讐や!平川が苦しめば、それでええんや!」
「平川が示談を断ってくれたら、俺は会社の信用とイメージを落とすだけや」
「その全責任を平川が取れるのならば、示談を断ればええやろが!」
一気に捲し立てた。
言い終わったあと、静まり返った会議室で、俺のハァハァという声だけが聞こえていた。
切れた俺を見て、杉本部長もマズイと思ったらしく
「じゃあ、交渉はここまでですね」とだけ静かに言った。
まだ会社が平川を庇うかもしれないと思った俺は、まだ会社と平川を脅す必要があると判断した。
ドアまで歩いた俺は二人の方を振り返り、
「あと一週間だけ待ちます。一週間後に俺の口座の通帳記入をします」
「その時に、示談金の全額の入金が確認できなければ、平川を刑事告訴します」と言った。
総務課長の無言で驚いている顔が見えた。
刑事告訴は被害届とはレベルが違う。
そんな事をすれば平川は会社には、いられなくなる。会社も隠せなくなる。
脅しは十分だと思った。俺は会議室を出た。
職場に戻った俺は、平川を見ながら仕事をしていた。
暫くして、平川が総務課長に呼ばれて会議室に入っていった。
一時間以上経っても平川は会議室から出てこなかった。
俺は平川の焦った顔を見てやりたかったが、自分の仕事が終わってしまったので帰った。
顔を見ることが出来ず残念だった。
次の日から一週間、平川は会社を休んだ。
一週間は待つだけだった。相変わらず、法律関係の本は読んでいた。
だがそれは今までのように、復讐の為に読むのではなく小説を読むような感じになった。
勉強ではなく読書って感じ。この頃は読書が趣味になっていた。
気が楽になったのが理由かもしれないが、その日から呑みすぎ状態が続いた。
お酒は楽しく呑めた。
「身体、大丈夫?」
心配してくれる嫁さんの気遣いが嬉しかった。
でも、その気遣いを無視して呑みまくった。
呑みながら、子供と一緒にゲームを夜遅くまでしていて、嫁さんに怒られた。
焼酎は途中で没収された。そして隠された。
家の中はパワーハラスメントがある前のような、普通の家庭に戻りつつあった。
「明日、平川さんが示談金を振り込むらしいよ」
入金確認日の前日、俺は嫁さんに言った。
嫁「いくら?」
俺「知らない。15万円くらいじゃないかな?」
示談金の額を、嫁さんに言っていなかった俺は惚けた。
俺「もし、平川さんが15万以上支払ったらどうする?」
嫁「そんなに払わないでしょう」と興味無さそうに答えた。
俺「もしもだよ。15万以上払ったら?」
嫁「その時は15万以外は、あんたの小遣いにしていいよ」
 「但し、その15万は私の小遣いにするからね」
心の中でガッツポーズをした。
社内では色んな噂が流れ出していた。
閉鎖的な田舎だしね。みんな、噂話が大好きだ。
本当に、あっという間に噂が広がる。そして噂には、尾ひれはひれが付く。
平川が会社を辞めた。平川がリ婚した。平川が自刹した。そんな噂まで流れ出した。
会社が潰れる事を不安に思った社員も多くいた。
「復讐なんて止めた方がいいよ」
「平川さんは反省しているよ。もう許してあげたら?」
俺がパワーハラスメントを受けているときには見て見ぬふりをしていた社員が、俺に優しい口調で話し掛けてきた。
俺がパワーハラスメントを受けているときには、誰一人として止めなかった奴らだ。
皆、遠巻きで見ていた。笑っていた奴もいた。それが、俺のご機嫌とりに変わった。
12月13日、示談の期日。平川はこの日も休んでいた。
「示談したの?」
多くの社員に何度も聞かれた。仕事に支障をきたすほどだった。
総務課長も何度もやって来て、入金がされたのか聞いてきた。
銀行に行っていないので知るわけはない。
「仕事が終わってから通帳記入をします。それまでは分かりません」
と言うと「入金が確認できたら会社に戻ってきて欲しい」と言われた。
会社としても少しでも早く示談書にサインさせたいのだろう。残業もさせてもらえなかった。
さっさと入金を確認してこい、といった雰囲気だった。
俺は多くの社員に注目されながら退社した。
銀行に着いたときは、空は薄暗くなっていた。銀行のATMのある部屋は明るかった。
ATMの前に立った俺はポケットから通帳を取り出した。
もし、ヒラカワの名前で金が振り込まれていたら俺の復讐は終わる。
だが、振り込まれていなければ復讐は今日からが本当のスタートになる。
もうこんな復讐は止めさせて欲しい。
パワーハラスメントがあった前のような普通の人生を送らせて欲しい。
そう思いながら、通帳記入のボタンを押し、通帳をATMに入れた。
ATMから通帳に、文字を書き込む小さな機械音がした。
辛い俺に、ATMの画面の中にいる小さい女は笑顔で、何度も俺に頭を下げていた。
小さい女が消えると、通帳が出てきた。
(頼む。もう終わらせてくれ) そう願い、通帳を見た。
『入金  ヒラカワ  ○○○万○○○○円』
通帳には、俺の要求通りの数字が書かれていた。
あっけなかった・・・これで復讐が終わったのだ。
周囲に誰もいないことを確認して、何度も通帳を見た。
終わった・・・・・
俺は全額を引き出した。家族を驚かせてやろうと思ったからだった。
ATMの限度額を何度も打ち込み、示談金の全額を引き出した。
一万円札がパンパンに入った銀行の封筒が何枚も出来た。
もし、人が入ってきたらビックリするような光景だったと思う。
その封筒を助手席に乗せて、会社に戻った。
会社に戻ると、会議室には示談書が置かれていた。
見ると既に平川と会社のサインがされていた。
早く終わらせたいのだろう。改めて会社の隠蔽体質に呆れた。
杉本部長と総務課長の前で、示談書にサインをすると、
『平川は深く反省し、二度と俺にいやがらせをしません。会社も再発防止に努めます』
と書かれた再発防止誓約書を渡された。
再発防止誓約書にも平川と会社のサインがされていた。
俺は無言で受け取り、頭を下げて会議室を出た。
ただでさえ俺の話題で持ちきりな上に、私服で通路を歩いたために目立った。
多くの社員が俺に話し掛けてきたが全て無視して会社を出た。
車の中では、信号待ちの度に助手席を見た。
何度見ても、膨らんだ封筒が何枚も無造作に転がっていた。
15万以外は俺の小遣い・・・そう思うと顔がにやけた。
家の駐車場に着いた俺は、示談金の全額を封筒から出して、鞄に詰め込み家に入った。
家に帰ると、嫁さんと子供はコタツに入り、テレビを観ていた。俺も、コタツに入った。
示談金が入った鞄をこっそりコタツに入れた。
嫁さんも子供も示談金には興味がないようで、その事には触れず他の話をしてきた。
しかし、観ていたバラエティー番組が終わると、嫁さんは思い出したように、
嫁「そう言えば示談したんじゃないの?」
俺「うん、したよ。これで俺と平川さんの争いは完全に終わり」
 「長かった。こんな経験はもう懲り懲りだ」
嫁「いくら貰ったの?」
俺「・・・」下を向いた。驚かしてやろうと思ったからだった。
嫁「いくら?」黙って俯いている俺に、嫁さんが強い口調で聞いてきた。
俺「・・・」
俺は黙った。可笑しかった。
嫁「10万円くらい?」
俺「10万な訳ないでしょう」
嫁「15万円?」
俺「そんなに貰える訳ないでしょう」俺は惚けた。
次男「1万?」
長男「2万?」
子供も聞いてきた。
「ドーン!」と言って、俺はコタツの中から全額をコタツの上に投げた。
コタツの上一面に一万円札が広がった。
コタツの上だけでは収まりきらない一万円札は床に落ちた。リビングは一万円札だらけになった。
その後の光景を簡単に書くと・・・
唖然とする嫁さん。顔が真っ赤になり、冬なのに汗が出る嫁さん。
集めた一万円札を隠そうとする子供。二人の子供に引っ張られ、破れる一万円札。
それを見て怒る嫁さんと笑う俺・・・そんな感じ。
まあ当然だね。多くても15万位だと思っていたのが、○百万円でいきなり目の前にばらまかれたんだから。
予想通りの騒ぎが終わると、嫁さんは全額を自分のバッグに入れた。
「15万以外は俺の小遣いの約束でしょう?」
嫁さんに睨まれた・・・
『男が大金を持つと浮キする』
そんな訳のわからない理由で、約束は破られた。
俺と子供は小遣いとして一万円づつ、残りは全額、嫁さんに没収された。嫁ハラスメントだと思った。
翌日、家に帰るとリビングにブランド物のバッグとブーツが置かれていた。
いつのまにか慰謝料には『平川貯金』という名が付けられていた。
後日、俺は貰った一万円で、プレステ3のソフトと、ビールを買った。それで一万円は消えた。
翌日、早い時間に出社すると更衣室に平川がいた。一週間ぶりに平川を見た。
平川は既に着替え終わっていたが、俺に背を向けて携帯をいじっていた。
(何やっているんだろう?)とは思ったが、無視して更衣室を出た。
廊下を歩いていると、後ろから来た平川が俺を追い越して振り返った。
平川と目が合ったのは、謝罪の時以来だった。
「今度の休日に、俺と嫁さんとで、お前の家に行って、お前と家族に謝るからな」
平川は俺を睨みながら言った。
「何故、俺の家族に謝るんですか?」
「俺のせいで、お前の家族は迷惑したんやろうが」
「平川さんの奥さんは関係ないと思います。」
そう言うと、平川は更に俺を睨み「俺の嫁さんはおかしくなったんや!」と大声で怒鳴って走っていった。
あの時の謝罪の気持ちは本物だと思う。
平川は自分が辛い目に合って、ようやく人の痛みが分かったのだろう。
あとで知った事だが、平川の奥さんは平川のパワーハラスメントの内容と
○百万円の財産を失うことを知って、相当なショックを受けたらしい。
そして罪の意識からか、俺と俺の家族に謝りたいと言い出したらしかった。
そして、これがきっかけとなり、リ婚手続きを始めたそうだった。
平川も俺と同じで小さな子供がいる。
その家庭を自分のパワーハラスメントで崩壊させてしまった。
自業自得とはいえ、可哀想に思えた。この謝罪の申し出は後日、断った。
嫁さんに話したら「平川の顔なんか見たくもない」
「もし来るんだったら、その間は実家に帰っておく」と言われたからだ。
その日の午後から俺は会社を休み、労働基準監督署とK察署に行き、労災と被害届の取り下げをした。
最終章【終わり、始まり・・・】
示談から数週間後の年末の最終仕事日の事だった。
昼頃から、多くの社員がチラチラ、俺を見てきていた。
そんな中、一人の社員が「平川さんのあれって、片岡さんがらみなの?」と聞いてきた。
「あれって何の事?」
「会社の掲示板に、平川さんと内藤課長の処分が掲示されているよ」
急いで掲示板を見に行った。
【公告】
平川グループリーダー
出勤停止期間、12月28日~翌年1月10日までの稼動日5日間
処分理由:企業倫理規定違反のため。
内藤課長譴責処分
処分理由:企業倫理規定違反を未然に防げなかったため。
ーーーーーーーーーーー
具体的な処分理由は書かれていなかったが、パワーハラスメントの事であることは明らかだった。
会社はようやくパワーハラスメントの処罰をした。
しかし、年末年始に出勤停止の処分とは、会社も随分酷い事をしたと思う。
平川と家族はどんな正月を迎えたのだろう。
年が明け、平川の出勤停止の処分が終わると、竹内と後藤の態度が急変した。
平川の処分は掲示板に貼り出されたし、慰謝料も『平川貯金』という名前で会社中に広まっていたしな。
二度と平川を唆すような事はしてこなかった。後藤は、俺に対して怯えだした。
竹内も平川の部下として、辛かったんじゃないかな。
「平川さんの家はスゴい金持ちだよ。だから、○百万円なんて払っても痛くも痒くもないよ」
と、竹内は社員に言っていたそうだ。
それが嘘なのは誰の目にも明らかだったが・・・
竹内も後藤も、煽った責任を取りたくなかったのだろう。
平川は、会社だけでなく、竹内と後藤にも切り捨てられた。但し、平川は違った。
竹内と後藤に洗脳され過ぎたのか、周囲に対してプライドがあったのか・・・
あるいは、パワーハラスメントを止める、イコール、片岡に負けると思っていたのか・・・
数日後、俺が事務所に入り、コピーをしていると、
ガンッ!ガラン、ガラン・・・後ろから金属音がした。
振り返ると、平川がこちらを睨んでいた。
平川の足元には、蹴られた鉄製のゴミ箱が横を向いて転がっていた。
平川は俺から目をそらすと「ヒャヒャヒャ」と笑った。
今までの俺ならば、無言で下を向いて事務所を出ていた。
しかし、その時の俺は顎を上げて、平川を見て「フンッ!」と、鼻で笑ってやった。
多くの視線を感じながら事務所を出た俺は、トイレの個室に入り
胸ポケットに隠してあったICレコーダーの録音を停止し、再生ボタンを押した。
「ガンッ!ガラン、ガラン・・・・・ヒャヒャヒャ」
トイレを出て、長い廊下を真っ直ぐ前を向いて歩きながら思った。
恐らく平川がパワーハラスメントを止める事はないだろう。
パワーハラスメントをしたいのであれば好きにしろ。
俺はそれらを証拠として記録してやる。そしていつか、再び復讐を開始しよう・・・
それまでは泳がせておいてやる。以前とは変わった事がある。
今の俺は・・・・・平川が怖くない。
~完~
>>最後のICレコーダーのくだりはない方が良かったな。
 それで一気に嘘っぽくなってしまった。
最後のICレコーダーのくだりも事実だぞ。
但し、あまり詳しく書く必要はないと思ったから短くしたんだが
それが逆に創作っぽくなってしまったのかな。
もし、そうだとしたら俺の文才がない証拠だと思う。
最後のICレコーダーのくだりを詳しく書くと・・・示談後も平川は反省していなかった。
俺が事務所に入る度に、ゴミ箱を蹴ったり、ぶつかる勢いで突進してきたり
すれ違い様に舌打ちをしてきたり、後ろから「タヒね」と言ってきたりしてきてた。
だから、あの時も(事務所に入ったら何かしてくるんだろうな) と予想していた。
だから、ICレコーダーの録音ボタンを押してから事務所に入った。
そしたら平川がゴミ箱を蹴って笑ってきた。それを録音できた・・・ということ。
ここまで詳しく書いた方が良かったかな。
>>かなり詳細に書いてくれたと思うけど、今は大丈夫なのか?
俺が壊れなかったのは家族の支えが一番大きい。
後は相談した弁護士先生が優秀で親身になって対応してくれたことと
「絶対に勝てるから安心してください」
と言ってくれていたことも心の支えになっていた。
パワーハラスメントだけでなく、学校でのいじめで苦しんでいる人も多いと思う。
俺なんかのアドバイスが役に立つとは思えないが、
俺の経験から言うと耐えていたら絶対に解決しないんだ。寧ろ悪化させるだけなんだ。
一人では戦えない。だから先ずは家族や友人といった信用できる人に相談して欲しい。何かが変わると思う。
ちょっとしたきっかけで反撃のチャンスはうまれる。
自刹は絶対にするな。タヒ人に口なしになる。
タヒんだら、加害者も黙認している会社や学校もヒガイ者を悪者扱いしたり、嘘つき扱いする。